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信州松代の概要

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長野市松代町は人口一万八千人、長野市の最南端に位置しています。

三方が山に囲まれ、北側には千曲川が流れている水と緑の豊かな町です。

周辺各地には大室古墳群や東条古墳群が点在し、荘園時代の名残である西条

東条の地名が今日に伝わっています。

戦国時代には武田信玄が山本勘助に命じて作らせた海津城があり川中島合戦

の舞台となったところです。

武田、織田、上杉、豊臣、徳川と支配者が変わりましたが徳川家康が天下を取り

その後、真田信之が上田から松代に移封され、海津城を母体にしてつくられた

松代城を中心に本格的な都市計画を行い今日の松代の基礎を築きました。

真田氏が十代二百五十年間にわたって統治したため、現在でも真田家の築いた

文化風土が色濃く残っています。

幕末には佐久間象山が尊王開国を唱えて新しい時代の先駆けとなりました。

明治時代となって、官営の富岡製糸場へ伝習工女として出向いた横田英を

はじめ若き女性たちが機械製糸の技術を習い覚えたのを契機に松代で日本

で初めてのフランス式機械製糸場、六工社が創業され、横田英らの指導によ

り製糸業が盛んとなり多くの製糸場が創業されて、品質の良い松代製糸が

横浜を経由して海外に輸出され松代の産業振興に 大いに貢献しました。

横田英は後に結婚して和田英となり「富岡日記」を書いています。

明治から大正にかけて松代清野出身の松井須磨子が日本で初めての本格的

な近代舞台女優として活躍し、カチューシャの唄で一世風靡しました。

太平洋戦争末期には大本営移設の為に松代周辺の山に地下壕が掘られて

本土決戦の最後の砦として築かれましたが完成を待たずに終戦となりました。

硫黄島の戦いの栗林中将は松代西条欠の出身です。

昭和四十一年長野市に合併して以来長野市の周辺部となり

豊富に残る文化遺産を十分に活かすことが出来ないでいましたが

平成五年に松代地籍に高速道長野インターを誘致したのを契機に

住民によるまちづくりが活発化していきました。

住民主体のまちづくりによって行政の後押しを得、平成一六年には

遊学城下町松代、エコール・ド・まつしろキャンペーンが実施されて

松代ブランドの確立がはかられて、全国にも知らるようになり 年間

80万人の観光客が訪れ観光松代として注目を集めるようになってきました。

現在では年間60万人の観光客が定着してきていますが、地元では100万人の

観光客を集められるまちにしようとさまざまなまちづくり活動が活発化しています。

さらには2010年松代イヤーとして長野市が松代を全国に発信するキャンペーンが

年間を通じて開催され、松代のブランド化を目指した取り組みが官民一体で開催

されました。その後も官民協働による継続的なまちづくりの取り組みが行われています。

 

群馬の希望の河様の綴ってくださった松代のルポ←をご紹介します。

松代文武学校@ 松代文武学校A  松代文武学校B

ネットで紹介されている観光スポットのご紹介です。

日本の旅様のブログより 

@松代城 日本の城 A長野市松代町日本の旅

群馬県「読書日記?」様による10年間の記録より

信州松代真田十万石まつり

 

上田・松代の町並み紹介したHPより

松代の町並みより

松代・川中島 川中島バスHP より

長野市松代町の文化財長野市のHPより

松代散策を紹介した夢空間ブログ

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