今年度長野県の元気づくり支援金を得て
松代出身の先人を写真パネルで紹介する
人物顕彰展を計画しています。
今日はその実行に向けて
実行委員会を発足させました。
約10名の方々に集まっていただいて
取り上げて欲しい先人をあげ
50名ほどの人物が候補にあがりました。
江戸時代以降の近世の人物
明治、大正、昭和の人物を中心に
とりあげていいくと
政治、文化、経済その他で
活躍した人物が多く候補にあがりました。
今後上がってきた人物の中から
パネル化する人物を選び
写真、文章で紹介していきます。
その中で
植物学者で斉田功太郎
の名前が挙がっていました。
地元ではほとんど知られていませんが
植物学の世界では
功績を残された方のようです。
何か情報がありましたら
お知らせいただけると
幸いです。
恩田重信宅の
案内看板が
松代のまち歩きをする
人々の注目を集めています。
象山神社東側のれき道沿いにある
恩田宅
現在明治薬科大の所有となっていますが
今まで門の上に小さく
明治薬科大創始者の
表札が付いていましたが
小さくて見過ごしてしまうことがほとんどでした。
今回は歩いていくとちょうど
まち歩きの人の目にとまる位置に
大きく表示してあります。
今回のお庭拝見でも
多くの方が立ち止まって
案内板を読んでいました。
明治薬科大
富岡製糸場前の商店街のかたが
お土産の開発をするために
富岡日記の作者長野市松代出身の
和田英さんについてもっと知りたいと
旧知の方がNPO夢空間を訪ねて見えました。
富岡からは昨年から今年に掛けて
二回にわたり松代への視察受け入れを
NPO夢空間を窓口にさせて頂きましたが
単独でみえられたのは今回がはじめてです。
松代では佐久間象山先生の影に隠れて
あまり目立ちませんが
NPO夢空間の活動を通じて
少しづつ和田英のことが分かってきました。
@和田英の生家は重要文化財の横田家で
二代に渡り最高裁判長長官(一人は大審院長官)を輩出した名家です。
富岡製糸場伝習工女として機械製糸の技術習得を
したのち大里忠一朗らが
松代西条で日本ではじめてのフランス式民間機械製糸場
六工社創業に対して女工達の指導的立場で活躍しました。
A六工社の跡には地元西条有志の方々で案内板が設置されています。
そののち和田家に嫁ぎます。
B和田家は先日開催された城下町松代町屋散歩のなかで
現在の松代小学校の玄関のあたりであることを
丸山日出夫先生によって解明して頂きました。
その後は夫の仕事の関係で足尾銅山の方にいたようです。
50代で富岡製糸場での様子や六工社での様子を
書き表したのが富岡日記です。
和田英の墓は松代御安町の蓮乗寺で
佐久間象山先生の墓所のすぐ近くにあります。
NPO夢空間ではこのたびお寺さんや和田家のご理解を頂いて
C墓所に和田英の功績をたたえる案内板を立てさせていただきました。
現在までに分かっている松代での和田英ゆかりの地はこの4箇所となります。
また、和田英がお母さんの躾のことを書いたD「わが母の躾」は
以前ではよくPTAの学習材料として使われていました。
現代では生活環境があまりにも違う為に使われていないかもしれません。
上記のような概略をお話したところ
松代で泊まっていきたいということになり
国民宿舎松代荘、ロイヤルホテルをあたってみましたが
満室で定鑑堂さんで一人確保して泊まっていかれました。
どんなお土産が開発されるか楽しみです。
夢空間ブログ